戦士のズル休み | 2018年01月
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2018.01.31

再び原城跡へ

 

 

 

 

 

 

2017年秋、「島原の乱」の舞台、原城跡へ行ってきました。

6年前にも同様の記事を書きましたが、せっかく写真も撮ったのでまたお付き合いください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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6年前に来た時は小雨がぱらつくあいにくの天気でしたが今回は快晴。

こちらが日本史上最大規模の一揆「島原の乱」が勃発した「原城跡」です。

自分の実家からは車で10分程のところにあります。

国道から農道に入りひたすら進むと高台にひっそりと佇んでいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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原城天守閣、石垣のほとんどが一揆鎮圧後に幕府軍により徹底的に破壊され、

現在では石垣の一部が残るのみとなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さらに進みます。

この坂道の先にあるのが原城が建っていた跡地になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原城跡地。

約380年前、ここで数万人の命が失われる壮絶な戦いがありました。

ちなみにこの写真は6年前に撮ったものです。

今回はちょうどこの写真の辺りでお見合いパーティが開催中で撮影できませんでした。

写真左、木の根元にあるのが天草四郎の墓碑です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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天草四郎時貞の墓碑

 

一揆軍の総大将、天草四郎は原城本丸で斬首、長崎でさらし首にされました。

この墓碑は四郎の母が作ったものといわれており、

別の場所で見つかったのをこの場所に移動したもので、

ここに天草四郎の遺体があるというわけではありません。

 

(写真の説明文より)

「(天草四郎は)小西行長の家臣、益田甚兵衛好次の子で、

本名は益田四郎時貞といい洗礼名はジェロニモとかフランシスコなどといわれています。

比較的恵まれた幼少時代を送り教養も高かったといわれ、

また長崎へ行って勉強したともありますが詳細は不明です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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天草四郎像。

弱冠15歳で一揆軍の総大将となった天草四郎には、

やはり他の人にはない特別なカリスマがあったのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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原城は強固な石垣と海側は断崖絶壁に守られ、籠城には絶好のロケーションだったといえます。

海の向こうに見えるのは熊本・天草です。

 

380年前、原城に立てこもっていた人々はどのような気持ちでこの海を眺めていたのでしょうか。

特に戦闘能力のない女性や子供たちは、

幕府軍が諦めて帰ってくれるのをひたすら願ったのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次回更新記事は一応「トラックバックテーマ」を予定しています。

それではまた ´ω`)ノ


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まとめ