戦士のズル休み | あれから1年



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2012.03.11

あれから1年

2011年3月11日。

金曜の午後2時~4時は1週間の業務の中でも最も忙しい時で、

皆営業所の倉庫でバタバタと慌ただしく作業中だった。

 

 

午後3時。同僚のT君が

「もうダメ。ニコチンが切れた。休憩しよう」

と言い出した。

自分はタバコは吸わないのでよくわからないが、

「んー、じゃ10分休憩ね」

自分も事務所で自分の席に座り、

休憩がてら事務所のパソコンから、

始めたばかりの自分のブログをチェックしようとした。

 

 

プロバイダのトップページに地震速報が。

「あれ?東北で地震だ…かなり大きいですよ」

本社から来ていたS室長の顔色が変わった。

S室長は宮城出身。奥さんの兄弟が現在も宮城に住んでいるという。

携帯から奥さんの実家に連絡するも繋がらない。

地震が気になるが、いつまでも見ているわけにもいかない。

とりあえず業務に戻った。

 

 

午後5時。

とりあえず仕事は一通り片付いた。

「かなり酷いみたいだよ」

先程の同僚T君が携帯からワンセグでニュース映像を見ている。

 

 

午後6時半。

アパートに帰ってきた。

テレビをつけると、想像をはるかに超える状況に言葉を失った。

テレビ画面の端には津波警報、注意報の速報が。

実家のある長崎・島原半島も津波警報の範囲内だった。

津波到達予想時刻は12日朝、予測される津波の高さは1m。

実家は海から100~200メートル。

2階の窓から海が見える距離だ。

他人事ではない。

実家の両親と埼玉の兄が気になったが、

こういう状況で無闇に携帯を使うべきではないと判断した。

きっと大丈夫だろう。

 

 

翌日。

11日朝から東京に出張に行っていた上司と連絡が取れた。

どうにか帰ってこれそうだ、との事。

実家とも連絡を取った。

津波は来たのか来ないのかわからないぐらいの規模だったようだ。

実家は海のそばなので、

もし大地震が来たら貴重品とか漁らなくていいから、

すぐに車で祖父母の墓がある高台の墓地まで逃げるように、

車が出せない状況なら裏山のダムまで死ぬ気で走って逃げるように伝えた。

 

 

あれから1年。

午後2時46分、

自分が住んでいる町でも地震発生時刻を知らせるサイレンが鳴った。

自分も勿論、黙祷をした。

被災地の復興への道のりは遠く険しいものになるかも知れないが、

必ず成し遂げられると信じている。

自分も1991年、雲仙普賢岳の噴火災害を経験しているので…

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